キリストと十字架の意味

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イエスキリストが背負う十字架の意味とは?


キリスト=十字架。
背負うのには意味がありました

キリストと聞いて連想するものは十字架だと思います。
キリストが十字架に背負う絵など見たことがあるのではないでしょうか。
その十字架の意味はご存知ですか?

キリストがいた時代、十字架は神聖なものではありませんでした。
十字架の意味やキリストが背負っていた理由など合わせて解説していきます。
普段ファッションなどで取り入れている人も、この記事を読んで十字架に対するイメージが変わるかもしれません。

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キリストと十字架の相関。


キリストのいた時代十字架は死刑器具でした。
今で言うところの「首吊りロープ」や「電気椅子」などと一緒です。
十字架での死刑はそのまま磔にされ見せしめられながら、じわじわ殺す死刑です。
キリストはその十字架による死刑を執行されています。

この出来事には大きな意味があり、
キリスト=十字架
または、十字架が神聖なものになった事にも起因しています。

十字架が神聖視される理由。
イエスキリストの奮迅。

イエスキリストが十字架に磔になった理由は、世界中の人の罪を全て背負うという気持ちからです。
つまり、自分の身体と魂を引き換えに人々の贖罪を願い出たというわけです。

人々が神と向き合う為には人々の罪が壁になっていて、その壁を失くす為に、イエスキリストが犠牲となったと解釈していいでしょう。
その犠牲に敬意を払い、十字架に神聖という意味を見出したわけです。
キリスト教が十字架をシンボルに挙げる理由はここにあったのです。

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キリスト磔の時の言葉。
解釈は嘘?本当?

先述したように、「キリストは人々の罪を全て被った」というのがクリスチャンの解釈です。

しかし、聖書で磔にされたキリストの言葉は、
「主よ、何故私を見捨てたのですか?」
という言葉です。

これを聞くとキリストが罪を被ったという解釈は嘘くさく聞こえます。
キリストの嘆きは、非常に人間らしい言葉です。

聖書の表現は、様々な解釈をされ確かに嘘くさい解釈がオーソドックスになっている場合が多々あります。
それは宗教的に仕方のないことかもしれません。

キリストの最後の言葉の考察。

キリストが磔にされた時の言葉は、神と人のハーフとして当然かもしれません。
若き日のキリストが、心の底から神に問うた言葉、という風に受け取ってもいいのかもしれません。

この後キリストは復活するのですが、そこからがキリストが人ざるものに変貌する真骨頂なのではないでしょうか。
キリストが完全なる神なら、磔にもされないし、痛がりもしません。

なぜ親近感があるかというと、半分は人間だからです。
「主よ、何故私を見捨てたのですか?」
という言葉の解釈の一つは、普通の青年の嘆きと捉えてもいいのかもしれません。

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